"血染めの桜"事件で非業の最期をとげた谷地城主「白鳥十郎」が残した足あとを探って

白鳥十郎と寺社

木下八幡神社

木下八幡神社

河北町西里の町立西里小学校の西側、治部橋地区の田んぼの中にイチョウの大木があり、まわりよりも小高くなっている場所があります。この丘の脇には河北町の水道水源施設が建っています。その丘の中に小さなお社があり、社の近くには「八幡神社」と刻まれた石碑があります。

木下八幡神社

石碑

谷地城主の白鳥十郎長久の重臣とつたわり、明治17年に行われた白鳥長久の三百回法要のとき、四天王の一人として列席した家に、西里の青木家があります。

この青木家に「谷地小僧丸」と称する人物が天正17年に出した預置状が残っています。
谷地小僧丸とは、白鳥家が滅んだ後、谷地を領収した最上義光といわれています。
この預置状は「木の下在家」である青木家に従来通りの年貢の所有を認めたもので、現在、この預置状は河北町指定の有形文化財に指定されいます。

青木家文書

山形県河北町 河北町教育委員会『河北町の文化財』より

河北町の歴史に詳しい鈴木勲さんは、
「木下はもとは治部橋に鎮座する木下八幡神社のことで、‥‥‥‥」
と、2012年に発刊した「西村山地域史の研究 第30号」の中で述べています。

現在の治部橋地区に八幡神社はこの田んぼのお社しかなく、このお社が「木下八幡神社」と考えられます。
残念ながら、木下八幡宮は近世初期に故あって廃社となってしまったそうです。

以前、治部橋地区の隣、天満地区の方にこの八幡神社のことを伺ったら、昔はもっと神社の敷地は広かったとのことでした。
今は藪に覆われてしまうことも多い神社ですが、かつてはもっと手入れがなされていて、ここを訪れる人も多かったのではないでしょうか。

現在の所有者の方も高齢となり、なかなか手入れが行き届かないようです。
もっと手入れをしなければ、と嘆いておられました。

水田の中に大きく伸びるイチョウの木。
このイチョウにも生命力を感じさせられます。
社は小さいといっても八幡神社。
ここを通るたびに、畏敬の念を感じさせられます。

今は田んぼの中で、訪れる人もあまりなく、大きなイチョウのもとでひっそりと過ごしておられる八幡神社ですが、歴史を知る上でも貴重な神社です。

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