"血染めの桜"事件で非業の最期をとげた谷地城主「白鳥十郎」が残した足あとを探って

白鳥十郎と寺社

宿用院

宿用院

画像の説明

平田山宿用院は西村山郡河北町谷地にある曹洞宗の寺院です。

宿用院はもともと平田山耕雲寺といい、沢畑地区を流れる滝の沢川の上流、現在、平田貯水池があるところに1394年ころ建立されました。

宿用院を中興開基した和田重兵衛の祖先は白鳥十郎長久の重臣(家老)の和田六郎左衛門秀友です。

秀友は長久とともに山形城で討死したとも伝えられています。
谷地城の落城後、和田家は城の南側に広い土地を得て居を構え、帰農したと考えられています。

重兵衛は両親の死、妻の死につづいて、二人きりの愛児をも亡くしてしまいます。
後妻を迎えましたが、子供ができませんでした。

重兵衛は血縁が途絶えてしまうことに世の無常を悟り、剃髪して宗庭法師と名乗り、深く仏門に帰依したそうです。

また、宗庭法師(重兵衛)は私財を投じ、谷地城の二の丸の堀やまわりの湿地を埋め、現在の地に宿用院を建立し、中興に力を尽くしたそうです。
この事業は江戸時代の寛文年間(1661-1672)に行われたそうです。

和田家の過去帳には同族の戒名のほか、徳川家康や白鳥十郎、また、曹洞宗開祖の道元禅師、宿用院開山の通山長徹大和尚の法名も記載してあるそうです。
和田重兵衛の信心深さを感じさせられます。

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