"血染めの桜"事件で非業の最期をとげた谷地城主「白鳥十郎」が残した足あとを探って

白鳥十郎と寺社

家臣について

家臣について

現在、河北町や村山市白鳥に「白鳥」を代々名のる家はありません。
最上氏によって討たれた白鳥十郎に男の子供がいたという伝承が残っていますが、その子供たちがどのような生涯をすごしたか、断定できる史料も残っていません。

白鳥氏の子孫を名のる人物もいますが、これも確定できる史料が残っていません。

白鳥十郎の弟と伝承される家に齋藤家があります。
十郎には二人の弟がいて、次男が齋藤伯耆守大学、三男が齋藤市郎右衛門と名のっていたようです。

次男の齋藤家に、「天正最上軍記(てんしょうもがみぐんき)」という、白鳥氏側の立場から書かれた軍記物が残っています。
残念ながら、この軍記物がいつごろ書かれたものなのか、これもはっきりはしていません。
したがって、信ぴょう性にも疑問が残るのですが、この軍記物に23名の家臣の名が載っています。

谷地に居を移したとき当主に付き添った重臣ではないかと考えられます。

以下に、その名前を紹介します。

伊藤将監重村
森谷大善高友
槙三郎左衛門国光
和田六郎左衛門秀友
森大太郎藤高
阿部兵蔵盛重
宇井半左衛門芳村
槙結城家貞
井沢寅之助吉忠
細谷大蒸信安
大場八郎左衛門義忠
岡崎七郎右衛門重行
後藤善孝芳実
八鍬五郎左衛門重種
仁藤大学信盛
仁藤四郎左衛門秀重
大久保内膳助秀角
湯野沢村熊野権現ト祭也
熊野三郎友重
塩野熊之助重則
長善寺右馬一国
石川右膳正利佐定
黒沼玄番保秀

上には記載されていない、白鳥家と関連のある人物が関わったと伝わる寺社もあり、実際は、家臣(重臣)の数はもっと多かったものと思われます。

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