"血染めの桜"事件で非業の最期をとげた谷地城主「白鳥十郎」が残した足あとを探って

白鳥十郎と寺社

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白鳥氏とは

皇太神社

白鳥(しろとり)氏は山形県村山市白鳥地区に住んでいた豪族です。

白鳥氏は戦国時代末期、当主が白鳥十郎長久のときに、それまでの居城「白鳥城」から、山形県西村山郡河北町にあった「谷地(やち)城」にうつりました。

代々、中条(なかじょう)氏が居城としていた谷地城ですが、どのような経緯で中条氏が滅び、白鳥氏が入部してきたのか、白鳥氏と中条氏が争ったという記録や伝承は残っておらず、謎になっています。

谷地は最上川に近く、また、各方面からの街道が交差する地点で、当時の谷地は山形と並んで発展した土地でした。

白鳥氏は寒河江(さがえ)市のあたりを治めていた大江氏と組んで、山形城主の最上(もがみ)氏と対抗する立場を取っていました。

力を蓄えた白鳥氏は家臣を織田信長のもとに送り、馬などを献上したという記録が残っており、その返礼にいただいた「天下布武」の朱印の入った書状が現存しています。
そのほか、大変に珍しいものが多数、織田信長から白鳥氏に贈られたという記録が残っています。

ときの権力者「織田信長」とのつながりを持つ白鳥氏を快く思わなかった、代々羽州探題として山形地方を支配してきた最上氏。

最上氏は白鳥氏と直接争うことを避け、謀略によって当主の十郎を討ち取ります。

その後、山形勢と谷地・寒河江の連合勢との合戦になりましたが、寒河江勢の主力が鉄砲で討ち取られてしまったことなどから、谷地・寒河江が最上軍によって攻めこまれ、谷地白鳥氏・寒河江大江氏ともに滅ぼされてしまいました。
1584年(天正12年)6月のことです。


白鳥氏が谷地をおさめた期間は30年足らずのようです。
短い期間ではありましたが、未だに白鳥氏、特に十郎を敬う人が多くいます。

谷地に白鳥氏が入部したとき、かつて中条氏が住んでいた城は最上川の流れの変化で使えない状態でした。
そこで白鳥氏があらためて谷地の街の整備にとりかかりました。
あらためて谷地城を作るとともに、城下に市(いち)を開き、住民の生活必需品の取引に利用させました。
今でも春に行われる「谷地ひな祭り」はこの市の名残だそうです。

街の整備のとき、白鳥氏は多くの寺社を復建したり、かつての居城「白鳥城」下にあった寺社などを谷地に移しました。

住民の心の安定をはかったのかもしれません。

このサイトでは、白鳥氏が関係した寺社を紹介します。

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