羽州かほく町西里近辺のパワースポット by 身近なパワスポ探検隊

魯齋逸見先生碑

優れた学者にあやかろう

魯齋逸見先生碑

〜ろさいへんみせんせいひ〜

魯齋逸見先生碑
魯齋逸見先生碑

「蔵王虚空蔵 空遠く〜」
現在の河北町立西里小学校の校歌の出だしです。

西里小学校は明治八年に開校した町内最古の小学校です。
他の学校に先駆けて開校できたのは西里には古くから複数の塾や寺子屋があったためです。

逸見魯齋先生(「私たちの河北町」より)
逸見魯齋先生(「私たちの河北町」より)

その中でも特に多くの門下生を集めたのが逸見魯齋さんが開いていた「筆学稽古所」。
西里小学校はこの稽古所を借用する形で開校しました。

現在のJA西里支所のあたりだそうです。

西里小学校発祥碑
西里小学校発祥碑

魯齋さんは1846年に白山堂で生まれました。

天満地区の先生や、楯岡の先生について学問を始めましたが、18歳のとき江戸に出て、漢学者として有名だった安井息軒(そっけん)先生の門下生になりました。

江戸に出ることは、家族は反対でしたが、どうしても江戸で勉強したいという向学心が抑えられなかったようです。

江戸には出ましたが、家からは学費を送ってもらえなかったそうです。

江戸で儒学を学ぶこと三年目。
故郷の父が亡くなってしまい、まだまだ学問を続けたかったのですが、帰郷することになりました。

地元に戻った魯齋さんですが、その学識の高さは村山地方一円に聞こえ、魯齋さんが開いた塾には現在の村山市や天童市からも生徒が集まったそうです。
その数は70余。

当時の塾は個別指導なので、せいぜい10〜30名程度の塾が多い中、70人もの生徒が集まる。

その評判の高さがうかがい知れます。

親しみを込めて魯齋さんと呼んできましたが「さん」では失礼ですね。

魯齋先生は明治32年(1899年)に54歳で亡くなりました。

門下生は先生の死を悼み、寄付を募って、白山堂白山神社の一角に「魯齋逸見先生碑」を建てました。
その寄付者は120人位も及んだそうです。

白山神社の北西方向に立つ、ひときわ大きな魯齋逸見先生碑。
その大きさも、先生の偉大さを表しているようです。

これほど慕われた先生。
三年の勉強では物足りないと感じていたという魯齋先生。
学識が高いだけではなく、人物的にも優れていたからこそ多くの門下生が集まったのでしょう。

先生の向学心や人格にあやかりたいものです。


天神信仰について
学業成就


参考にした本

『西里の歴史物語』 河北町西里地区公民館
『山形縣神社誌』 山形県神社庁
『あなたの神さま・あなたの神社』 戸矢学 河出書房新社
『地名を歩く』 宇井啓 寒河江市広報公聴係

参考サイト

金刀比羅宮
http://www.konpira.or.jp/

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