羽州かほく町西里近辺のパワースポット by 身近なパワスポ探検隊

天満熊野神社

くまのじんじゃ

熊野神社

くまのさま・おぐまんさま

画像の説明

おとなり、寒河江市の寒河江城主「大江氏」の祖は教科書にも出てくる鎌倉幕府の初代政所(まんどころ)「大江広元(おおえのひろもと)」という事はご存知でしたか。

戦国大名としても有名な毛利元就の毛利氏も元は大江氏で、寒河江の大江一族と一門です。

その大江一族からの信仰があつかった社が天満の熊野神社です。

現在のお社は、岡田氏が再建したものですが、かつては境介次郎(さかいすけじろう)という人が、寒河江市雲河原にあった熊野神社を現在のところに移したのだそうです。

境介次郎氏は室町時代に天満付近を取り仕切った豪族だったと考えられています。介次郎氏の子孫が、明治初期まで天満地区にいたそうですが、宮城県に移ってしまったそうです。

境氏がもっていた熊野神社の土地などは江戸時代に境氏から他人の手にわたってしまい、幾人もの人の手を点々としましたが、安政2年(1855)に天満の岡田宇兵衛さんが買い戻し、それ以降、岡田さんの手で守られています。

明治以前は神社とお寺は明瞭に区別されることがなく、どちらも一緒に人々の信仰を集めていました。

そのため岡田さんには熊野神社に安置されてあった三尊像(阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩)が大切に保管されているそうです。また、山形城主「最上義光」による社領の安堵状も残っています。安堵状は河北町により有形文化財として指定されています。
最上義光が寺社に出した安堵状で現存するものは岡田家所収の安堵状のみで、大変貴重な史料です。

現在、熊野さまは近くの天神さまと一緒にお祀りされておりますが、ぜひ、熊野神社のお社にも足をはこび、歴史を感じてみるのもいいのではないでしょうか。

戦国の世を生き延びた熊野神社。
世の中の流れにも負けない「たくましさ」を授けてくださるかも。


熊野信仰について
心願成就


参考にした本

『山形県中世城館遺構調査報告書 第2集』,山形県教育委員会,平成8年3月
『河北町の文化財』,山形県河北町河北町教育委員会,平成16年11月
『西里の歴史ものがたり』,河北町西里地区公民館,昭和62年8月
『河北町の歴史 上巻』,河北町

『総図解 日本の神社』
『観音力』

参考サイト

ウィキペディア「毛利元就」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E5%85%83%E5%B0%B1

ウィキペディア「刈」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%88

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